正しさを手放す
「足はこうやるのとこうやるの、どっちが正しいんですか? 」
以前ヨガのあるポーズについてレッスン後に質問を受けました。
確かにヨガのポーズ(アーサナ)って足の位置や腕の位置が微妙に違ったり
講師や本によってやり方が違ったりどうみても同じなのに名前が違ったり
いろいろです。
慣れないうちは混乱しますね(^^;)
わたしもヨガに興味をもってスポーツジムのヨガに通い始めた頃は
スポーツジムのヨガに通う - ゆるりと。ここちよく。私らしく。
先生の動きを見逃すまいとして
つま先寝かせるの?立てるの?どっち??と細かい事に目を向けてました。
家でやってみようと思い立っても
細かい部分が思い出せなくて
どうやるんだっけ
息は吸うんだっけ吐くんだっけ
悩んでけっきょくわからなくてやめてしまったり。。
自分のことながら・・・もったいないです!
せっかく‘やってみよう’と行動したのに
『正しいやり方、正解』にこだわってやめてしまうなんて!
当時のわたしは‘ポーズをとることがヨガ’だと思っていたので
当然形ばかりに意識がいっていました。
でも硬いし体力ないからできない・・・
それでも少しでもその形に近づけようと頑張って力で動かした結果
痛い、、
キツイ、、
わたしにはやっぱり無理なんだ、、そんなふうに思ってしまったりもしました。
同じようなことを思ってヨガをしている方(断念した方)
けっこういるんじゃないかな。。
そもそもヨガを生活に取り入れようと思う方は
まじめで頑張り屋さん、美意識も高い方が多いように思います。
どうあれ『楽しい』ならOKなんですが
『お手本どおりの完成したポーズじゃないと意味ないしヨガじゃない。
みんなできててすごい。とにかく痛くても頑張って真似して動かそう』
もしそんな思いがあったら
そこから一旦離れてみるとヨガの印象ががらりと変わるかもです。
この形で合っているかな?ちゃんとできてるかな?と
見た目やまわりを気にするのではなく
その形、動きで
自分のこころやからだがどんな反応をしているか
に意識を向けていきます。
どこが伸びてる?→それは痛い?気持ちいい?
どこかひっぱられてる?→それは痛い?気持ちいい?
余分な力入ってない?→眉間は?あごは?首は?肩はどう?
呼吸はどんな?→ゆっくり吐けてる?浅くて早い?やわらかい?
無理してない?
頑張りすぎてない?
楽しい?
つらい?
どう動いたら、どうしたら今の自分は心地いいんだろう
それは自分にしかわからないこと。
例えば
腕を上げる動きで気持ちよかったら、気分がよかったらそのままでいいし
痛いなキツいな、やだなと思ったら下ろして全然いいんです。
首も痛いと思ったら我慢して見上げる必要は全くないです。
ポーズの形はみんな違って当たり前(^^)
(みんなそれぞれ違うのに同じポーズを全員で行うことのほうがむしろ不自然なんです。)
あなたのからだが『痛み』で教えてくれています。
あなたのこころは『呼吸』が教えてくれています。
その声を大事にしてほしい
ちゃんと気づいてあげてほしい
こころとからだがリラックスできている状態、
それがいってみればまさに今のあなたの完成型であり正解。(毎回違います)
たくさんのヨガの流派がありますしそれぞれやり方も強度も違ったりします。
そうやってヨガに取り組むうち
楽しいな〜好きだな〜と感じられる、今の自分に合ったヨガがきっと見つかります。
形やまわりにこだわらず
丁寧に自分のこころとからだと対話して感じるままにその時間を過ごせたとき
最後のシャバアーサナ(あおむけのお休みのポーズ)では
こころは穏やかで落ち着いて
やわらかい気持ちよい呼吸がからだの中をふわ〜と優しくめぐるのを感じ
からだはどこまでもどこまでゆるんで広がり
ただただ安心して身を委ねられている
そんな境地になっているのではないかなと思います。
ここにいくのは正直簡単ではないけど
だからこそ得られたときの幸福感がたまらないんです。
まわりを気にしないって難しい
自分のことに気づくって実はとても難しい
自分の感じるままに動くってとても難しい
正解を求めないって難しい ・・・
だからこそ本来の、ただの自分に戻るためにヨガをする。
自分をもっと好きになって受け入れて
そのまんまの自分を信頼して
もっともっと自由になる
さて冒頭の質問のわたしの答えは
「どっちでも(^^)。正解ってないです。
自分がそうしたいなと思った方、気持ちいいなと感じたやり方でやって下さい♪」